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福岡高等裁判所 昭和60年(ネ)574号 判決

主文

一  原判決を次のとおり変更する。

二  一審被告らは、一審原告に対し、各自金一三九六万五五九四円及びこれに対する一審被告福岡市については昭和五七年五月二六日から、一審被告叶忠信については同月二七日からそれぞれ支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

三  一審原告のその余の請求をいずれも棄却する。

四  一審原告の本件控訴を棄却する。

五  訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを一〇分し、その一を一審被告らの、その余を一審原告の各負担とする。

六  この判決は一審原告において、それぞれ金六〇〇万円の担保を供するときは、その一審被告に対し、主文第二項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

(昭和六〇年(ネ)第五七〇号事件)

一  一審原告

1  原判決を次のとおり変更する。

2  一審被告らは、一審原告に対し、各自一億円及びこれに対する一審被告福岡市については昭和五七年五月二六日から、一審被告叶忠信については同月二七日からそれぞれ支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は、第一、二審とも一審被告らの負担とする。

4  仮執行宣言

二  一審被告ら

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は一審原告の負担とする。

(昭和六〇年(ネ)第五五五号、第五七四号事件)

一  一審被告ら

1  原判決中一審被告ら敗訴部分を取り消す。

2  一審原告の請求を棄却する。

3  訴訟費用は、第一、二審とも一審原告の負担とする。

二  一審原告

1  本件控訴をいずれも棄却する。

2  控訴費用は一審被告らの負担とする。

第二  当事者の主張

当事者双方の主張及び証拠の関係は、次のとおり付加するほかは、原判決事実摘示(但し、原判決七枚目裏一〇行目の「不知」を「否認」と改める。)のとおりであるから、これを引用する。

一  一審原告の主張

1  本件印鑑証明書発行の経過

待鳥照夫(以下「照夫」という。)は、一審原告に対し、同人より本件貸付を受けるにあたり、実父の喜久大(以下「喜久大」という。)を連帯保証人とすること並びにその旨の公正証書を作成することを約束していた。しかし、照夫は右喜久大より、本件貸付債務につき連帯保証人となることの承諾を得ていなかったため、右公正証書等を作成するに必要な喜久大の印鑑証明書を入手することができなかった。そこで、照夫は昭和五五年一〇月二八日一審被告叶に対し、契約のため喜久大の印鑑証明書が必要だが、喜久大が留守のため印鑑登録証の所在が判らない、印鑑登録証なしに同人の印鑑証明書を取得する方法はないかと相談した。一審被告叶は照夫の依頼を了承し、翌二九日午前九時三〇分に中央区役所のロビーで待ち合わせることを約した。一審被告叶は翌日右区役所に赴き、同所に来合わせた照夫を同所ロビーに待機させ、自らは同区役所市民課長田代垠次郎(以下「田代課長」という。)のところへ行き、同人に対し、印鑑登録証はないが喜久大の印鑑証明書を七通発行するよう依頼した。右田代はこれを了承し、担当の窓口係ではないが、たまたまその場にいた行武伸二(以下「行武」という。)に喜久大の印鑑証明書七通を作成するよう指示した。右行武は、申請者が記入しなければならない印鑑登録証明交付申請書の記入欄に登録原簿の住民票等を参考にして所定事項を代筆し、喜久大の印鑑証明書七通を作成して、これを一審被告叶及び照夫らに交付した。

2  一審被告市の責任

(一) 福岡市印鑑条例について

福岡市印鑑条例では印鑑証明申請の方法は、申請者本人若しくはやむを得ない場合は、代理人が印鑑登録証を添付して印鑑登録証明交付申請書に必要事項を記載して窓口に提出しなければならないとされていた(条例一一条二項、三項)。

そして、市民課窓口係の担当職員は、印鑑登録証及び印鑑登録証明交付申請書と住民票又は外国人登録原票と照合して、住所、氏名、生年月日、世帯主氏名、登録番号等が合致する場合にのみ印鑑証明書を発行することとし(福岡市印鑑条例施行規則四条)、例外的に、申請が本人の意思に基づくものであると認められる場合には、印鑑登録証の添付なしに印鑑証明書を発行し得るものと定められていた(条例一一条二項但書)。

そして、右本人の意思を確認する方法は、運転免許証、外国人登録証明書、写真付身分証明書又は印鑑事務関係職員の証言により申請者本人であることが確認できる場合に限られていた(福岡市印鑑条例施行規則五条)。

また、担当職員は申請に疑問があれば調査することができ(条例一四条)、申請を不適法と認めれば受理しないことができたのである(条例一二条三項)。

(二) 担当職員の形式的審査義務違反

田代課長及び市民課係員行武は、印鑑登録証の添付がないにも拘らず、喜久大の意思確認をしていないのみならず、照夫に対しても何らの調査をしていない。

また、印鑑登録証明交付申請書の記載事項は、行武が登録原簿の住民票等を参考にして記入したため、福岡市印鑑条例施行規則に定められている、申請者の住所、氏名及び生年月日を住民票と照合していない。

従って、本件印鑑証明書は、印鑑証明事務を担当する職員として果たすべき注意義務を著しく怠って発行されたものである。

3  一審被告叶の責任について

一審被告叶は、山崎拓代議士の親類である照夫より、印鑑登録証がないが契約のために必要なので父の喜久大の印鑑証明書をとってほしい旨の依頼を受けた。

一審被告叶は、福岡市印鑑条例によって、印鑑登録証を添付しない場合には、印鑑証明書の発行はあり得ないことを知っていたにも拘らず、照夫と共に中央区役所に赴き、田代課長に対し、印鑑登録証なしに、しかも喜久大の意思を確認する余裕のない状況の下で同人の印鑑証明書の発行を要求したものである。

従って、一審被告叶は、市会議員としての市職員に対する事実上の強い影響力を利用し、市印鑑条例一一条二項に違反して印鑑証明書の発行を要求したものというべきである。

しかして、担当の市職員が通常の取扱いによらず、印鑑登録証なしで、しかも本人の意思の確認をすることなく印鑑証明書を発行したのは、市会議員たる地位を有する一審被告叶の依頼があったからにほかならない。

即ち、一審被告叶の行為と市職員の印鑑証明書発行との間に因果関係のあることは明らかである。

4  損害との因果関係について

一審原告は照夫に対し、喜久大の連帯保証及びその旨の公正証書の作成の承諾が得られたということで、次のとおり貸付けを行ったものである。

(一) 昭和五五年一〇月二二日 二五〇〇万円

(二) 同年同月二九日 一億二五〇〇万円

(三) 昭和五六年一月一七日 三〇〇〇万円

一審原告は喜久大の印鑑証明書の提出がなければ、その時点で右(一)の貸付けにつき、喜久大が連帯保証人になることも、その旨の公正証書を作成することについても承諾していないことを知り得た筈である。

そうすると、一審原告は右(一)の貸付金の返還請求をして、照夫からこれを回収することが可能であったところであり、(二)、(三)の貸付けをしなかったことも明らかである。

一審原告の被った損害一億八〇〇〇万円と一審被告らの不法な行為との間には相当因果関係が認められるべきである。

5  過失相殺について

一審原告の代表取締役粥川幸一と営業部長の田島は、現金を持参して鳥谷司法書士事務所へ赴き、喜久大の意思確認がとれた段階で貸付金の交付をするつもりでいた。

鳥谷司法書士は喜久大とは旧知の間柄であると話しており、その場で喜久大に電話をして保証の意思を確認して間違いないと述べたので、一審原告は貸付けを行ったものである。

しかるに、後日になって、鳥谷司法書士の電話した相手は喜久大ではなく、照夫であったことが判明し、専門家の司法書士ですら誤認するような極めて巧妙な欺罔手段の仕組まれていたことが明らかとなった。

従って、一審原告の代表取締役粥川幸一が、そのような状況の下で直接喜久大の意思確認をしなかったことを重大な不注意であると評価するのは極めて酷である。

一審原告側に過失があるとしても、三割程度と解すべきである。

6  一部時効消滅の主張について

一審原告は、本件貸付により回収不能となった損害一億八〇〇〇万円のうち一億円を請求しているが、本件訴訟係属中右残額部分について消滅時効が完成することはない。

二  一審被告福岡市の主張

1  本件印鑑証明書の発行について

本件印鑑証明書の発行は、代理人を通じての本人面識による発行、即ち、当時の福岡市印鑑条例一一条二項但書及び同条三項並びに同施行規則五条に基づく面識条項の運用の範囲内のものと解釈することが可能であり、違法なものではない。

2  相当因果関係について

一審原告が被ったとする損害と一審被告福岡市の本件印鑑証明書の発行との間には、相当因果関係が存在しない。

(一) 印鑑登録証明は、登録された印鑑の印影を複写し、これを印鑑証明書として交付するものであるから、印鑑の印影以外の事項、例えば、印鑑証明書を持参している者が本人であることとか、印鑑証明書が添付されている契約書、申請書等が本人の意思に基づいて真正に作成されたこととかまでを証明するものではない。

印鑑証明書の発行事務に従事する一審被告市の職員は右証明書の使用先や使用方法についてこれを推認することすら不可能である。

即ち、一般的に、不動産取引、金融取引等において、印鑑証明書が本人の確認や本人の意思確認のための書類として利用されているが、これは絶対的なものではなく、本人の意思確認のための一つの判断材料として利用されているに過ぎず、殊に本件のような極めて多額の金銭貸付の場合において印鑑証明書が債務保証の意思確認にあたって決定的な役割を果たすということはあり得ないところである。

本件の場合も、金融業者である一審原告が、本件印鑑証明書の添付を決定的な動機として、照夫に一億八〇〇〇万円に及ぶ本件貸付を行ったとは到底考えられない。

(二) 本件貸付のうち、昭和五五年一〇月二二日になされた二五〇〇万円の貸付けについてみると、右貸付けにあたり、一審原告は株式会社協和ビル(以下「協和ビル」という。)所有の別紙(一)目録記載の各不動産(以下「協和ビル所有の本件土地、建物」という。)につき、極度額二億五〇〇〇万円の根抵当権を設定し、これを担保として、右貸付けをなしたものであり、右貸付けは本件印鑑証明書発行以前のものであるから、一審原告が右貸付けにより損害を被ったとしても、右印鑑証明書の交付との間に相当因果関係を認めることはできない。

その後、一審原告は照夫に対し、昭和五五年一〇月二九日一億二五〇〇万円、昭和五六年一月一七日三〇〇〇万円の貸付けを行っているけれども、いずれも、前記根抵当権を担保としてなされたものであり、連帯保証人たる喜久大については、その個人資産の調査はもとより直接その意思確認すらしていないのであるから、本件印鑑証明書の添付を求めたのは、単に契約書類上の形式を整えるために過ぎない。

(三) 前記根抵当権設定契約証書及びその旨の公正証書作成の委任状等は、照夫が協和ビルの代表取締役の印章及び喜久大の印章等を偽造して作成したものであるから、本件印鑑証明書の発行と一審原告の被った損害との間には照夫の故意行為が介入し、その因果関係は中断しているか或いは相当因果関係が存在しない。

3  責任割合について

仮に、本件貸付に関し、一審原告に損害が生じたとしても、右損害は照夫が右貸付金債務を担保するものとして、協和ビル所有の不動産に根抵当権を設定したように偽装し或いは実父の喜久大の保証意思があるかのように装い、一審原告を欺罔したことに基づくものであり、右照夫の故意行為が直接かつ最大の原因である。

従って、本件印鑑証明書の発行は照夫の右不法行為の手段として利用されたものであって、本件の損害発生に至る全体のなかで果した役割はごく一部分に過ぎない。

一審被告福岡市の本来的な賠償責任の割合は、別途それ自体として判断さるべきである。

印鑑証明書の発行者としては、取引の種類、取引金額、契約の相手方など予測して発行することは不可能である。

印鑑登録証明制度は、取引の安全であることを担保するものではないから、その責任範囲には自ずから一定の限界があり、その負担割合については、事件全体のなかでの各関係者の役割等諸般の諸事情を勘案して判断すべきである。

また、仮に、照夫と一審被告福岡市との関係が共同不法行為の関係であるとしても、不真正連帯債務の考え方を絶対的に貫徹し、一審被告福岡市にも一審原告の被った損害全体について賠償義務が及ぶとすることは公平でない。

いずれにしても、一審被告福岡市はごく一部の負担を負うに過ぎない。

4  過失相殺について

(一) 一審原告は貸金等の規制等に関する法律(以下「貸金業法」という。)による福岡県知事の登録を受けた貸金業者であるが、貸金業法一三条は、「貸金業者は、資金需要者である顧客又は保証人となろうとする者の資力又は信用、借入れの状況、返済計画等について調査し、その者の返済能力を超えると認められる貸付けの契約を締結してはならない。」と規定し、過剰貸付を禁止し、貸金業者に対し、貸付けにあたっての極めて重い注意義務を課している。

一審原告は、債務者である照夫とは一面識もなく、照夫は別に市中の悪評高い金融業者から多額の借金をしていたにも拘らず、照夫の資産、職業、信用等の調査を全くなさず、本件貸付を行っている。

(二) また、貸金業法一七条二項は、貸金業者は、保証契約を締結したときは、遅滞なく、保証契約をした相手方に保証契約の基礎となる貸付に係る契約の内容を明らかにする書面及び保証契約の内容を明らかにする一定の事項を記載した書面を保証人に交付しなければならない旨規定し、貸金業者に対し、保証人との間に紛争が生じないようにするための注意義務を課しているところであるが、本件の場合、連帯保証人の代理人が借受人本人を兼ねているという不自然な状況のもとで多額の貸付けを行うのであるから、貸金業者として、物的担保提供者或いは連帯保証人の意思確認を直接行うことは当然の義務というべきである。

しかるに、一審原告には、貸金業者として当然になすべきこれらの注意義務を怠った重大な過失があるから、損害の大部分は一審原告の過失により発生したものと認定すべきである。

(三) なお、一審原告は、原審において、一審被告に対し、本件貸付により被った損害額合計一億八〇〇〇万円のうち、一部である一億円の損害賠償及びこれに対する遅延損害金の支払を求める旨明示しているので、右一億八〇〇〇万円の損害額の請求権のうち八〇〇〇万円の請求権については、昭和五七年一月二〇日(喜久大が勝訴判決を得た福岡地方裁判所昭和五六年(ワ)第一五〇三号請求異議事件の判決確定日)の翌日から起算して三年を経過した昭和六〇年一月二一日には既に時効消滅している。(最高裁判所昭和三四年二月二〇日第二小法廷判決、民集一三巻二号二〇九頁参照。)

従って、本訴において、一審被告福岡市が負うべき責任割合を認定し或いは過失相殺を行う場合には、一審原告が被ったと主張する損害額から右八〇〇〇万円を控除した額について行われるべきである。

(四) 一審原告の損害額について

一審原告は照夫に対し本件貸付金を利率三分と定めて貸与したものであるが、照夫の利息支払状況(天引を含む。)は、別紙(二)のとおりである。

右約定利率は利息制限法の制限利率年一割五分を超えていること明らかであるが、利息制限法の制限を超える利息を任意に支払ったときは、まず同法所定の範囲内で同日までの利息に充当し、その余の部分は当然に元本に充当したものと解すべきである。

右支払利息のうち貸付日に支払われたものは、貸付金から天引されたものであるから、現実の受領額を元本として約定利率を利息制限法所定の範囲内に引き直して計算した金額を超える部分は元本の支払に充てたものとみなし、その余の各支払利息についても、同様に利息制限法所定の範囲内の利率に引き直してそれぞれ計算すると、別紙(二)のとおり、第一回の貸付金につき二七四万二〇七五円、第二回の貸付金につき一三七一万三七二円、第三回の貸付金につき一六三万三六八七円は、利息制限法所定の制限利率を超過するものであるから、いずれも元本の支払に充てられるべきである。

そうすると、一番原告の本件貸付に関する貸金残元本は、合計一億六一九一万三八六六円となる。

三  一審被告叶の主張

1  一審被告叶は、当時福岡市市会議員の一年生であって、市の職員の職責、市の行政について、専門的知識を有していたわけではなく、また、法律の専門家でもないから、市の印鑑条例一一条二項但書の内容、解釈について知識を有していたわけではない。

一審被告叶は印鑑証明書の交付について、照夫から相談を受け、その取扱いについて説明して貰うため、中央区役所の田代課長を紹介しただけである。右紹介行為は市会議員としての政治活動の範囲内の行為である。

2  一審被告叶は田代課長や行武係員に対し、本件印鑑証明書の発行を要求したことはなく、照夫と田代課長との間の交渉経過は全く知らない。

3  市会議員は、職員の人事に関与する立場にあるものではなく、職員に対し影響力を有しているわけではない。

紹介を受けた職員が自己の有する専門的知識に基づいて、回答し、処理した事柄については、当該職員が責任を負うべきである。

第三  証拠〈省略〉

理由

一  当事者について

一審原告が肩書住所地において貸金業を営むものであることは一審被告市との間において争いがなく、一審被告叶との間においては、〈証拠〉によりこれを認めることができる。一審被告叶が一審被告市の市議会議員であることは、当事者間に争いがない。

二1  〈証拠〉を総合すると、以下の事実を認めることができ、一審被告叶忠信の当審における本人尋問の結果中右認定に反する部分は前掲各証拠に照らして容易に措信し得ず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  照夫の実父喜久大は協和ビルの代表取締役、実母貞子は株式会社大濠花壇の代表取締役である。右協和ビル所有の本件土地、建物は福岡市の繁華街天神の中心部に位置し、その場所的諸条件に恵まれていることから、昭和五五年当時、右土地の標準価格だけでも優に一〇億円を超え、これにビル建物を加えると、その資産評価は極めて高く、右協和ビルが実質上喜久大の個人会社に等しいことから、同人の社会的信用は厚く、同人は右地域社会における資産家の一人として著名な存在であった。

照夫は昭和四〇年四月協和ビルに入社し、社長秘書、その後総務部長として稼働していたが、その間、右協和ビルにテナントとして入っている会社等から頼まれて、同会社が高利の金融機関から借入れる債務の個人保証をしていたところ、昭和五二年一一月ころ、右訴外会社が倒産し、債権者からその返済を追及されることとなった。

そこで、照夫は密に協和ビルの印鑑を盗用し、昭和五二年一二月ころ協和ビル所有の本件土地、建物に六五〇〇万円の抵当権を設定し、これを担保に借入れた金員の一部をもって前記債務の返済を果し、残金は第三者に貸付けるなどしていた。

しかし、右抵当権の設定は間もなく喜久大の知るところとなり、同人が右六五〇〇万円の債務を支払い、右抵当権を抹消したが、照夫はその責任をとって、昭和五三年三月ころ、協和ビルを退社した。

(二)  照夫は昭和五四年一〇月ころから、自宅を事務所として、イベント業(企画室「集」)を経営していたところ、昭和五五年九月ころ、右「集」が倒産し、再び三五〇〇万円の負債を抱え、その返済を迫られる事態が生じた。そこで、照夫は、協和ビルの株券を偽造してこれを担保に金融業者から六〇〇〇万円程度の金員を借り入れ、右負債を整理することを企て、同年九月ころ喜久大に無断で協和ビルの社印、代表者印、株券及び株券譲渡を承認する旨の取締役会議事録等を偽造し、右偽造株券四万株を持参して、昭和五五年一〇月五日一審原告の事務所に赴き、一審原告代表取締役粥川幸一(以下「粥川」という。)に対し、六〇〇〇万円の融資方を申し入れた。

一審原告は、従前照夫とは金融取引をしたことがなく、右粥川は照夫と格別の面識もなかったので、右株券担保による融資申し入れは、これを断ったものの、協和ビル所有の本件土地、建物を担保とするのであれば融資しても良い旨返答した。

照夫は、態度を保留し、相談してくる旨述べて、一旦帰宅したが、協和ビル所有の本件土地、建物を担保として提供するのであれば、借入金額を一億五〇〇〇万円位に増額し、前記負債を清算した残金をもって、新たな事業を計画したいと考え、まず協和ビル代表取締役の偽造印を利用して、右代表取締役の印鑑証明書を入手し、照夫のため協和ビル所有の本件土地、建物に一億五〇〇〇万円の根抵当権を設定することを承諾する旨の取締役会議事録を偽造し、これに固定資産税評価証明書を添え、昭和五五年一〇月一三日再び一審原告の事務所を訪れ、粥川及び営業部長田島久義(以下「田島部長」という。)に対し、持参した右書類を示しながら、抵当権設定については役員会の承認も受けたので、融資金額は一億五〇〇〇万円に増額してもらいたい、右金員は政治工作資金として必要であるなどと述べて、その融資方を申し入れた。一審原告側は、根抵当権の極度額を二億五〇〇〇万円とすること、利率は月三分、利息として二か月分を天引することを条件に右一億五〇〇〇万円の貸付けを了承し、同月二二日ころまでに右貸付金を準備すること、他方照夫は同日までに右根抵当権設定登記手続に必要な書類を整えることなどを約した。

(三)  同月二〇日ころ、照夫は一審原告の事務所に電話して、融資の実行方について確認を求めたところ、田島部長から資金準備はできているが、喜久大の個人保証をつけるよう要求された。

しかし、照夫は協和ビル所有の本件土地、建物に根抵当権を設定するについても喜久大の了解を全く得ていなかったばかりでなく、前記のとおり、昭和五二年ころ喜久大に対し、多額な経済的負担をかけ、協和ビルを退社している事情もあって、喜久大の個人保証について、到底その承諾を求められるような状況にはなかった。

よって、照夫は、田島部長に対して、喜久大の個人保証は後日相談してみるが、金融業者から借入れている一〇〇〇万円の返済期日が過ぎているのでとりあえず二五〇〇万円の融資を先行して貰いたい旨懇請した。同部長は、これを了承し、前記協和ビル所有の本件土地、建物に根抵当権の設定登記をするに必要な手続をした段階で右二五〇○万円の貸付をする旨約束し、右根抵当権設定登記の申請手続は、福岡市中央区舞鶴三丁目五番一号所在の鳥谷辰次司法書士事務所に依頼するよう指示された。

(四)  同月二一日、照夫は鳥谷司法書士事務所を訪れ、協和ビル所有の本件土地、建物に根抵当権を設定するため、その登記申請手続を依頼する旨を述べ、右申請に必要な添付書類について説明を受けたが、その際、右土地、建物の権利証がないため、その点を尋ねると同司法書士から権利証がない場合には、保証書を作成しなければならないが、保証書を作成するには、保証人が二名必要である旨の説明を受けた。

(五)  同月二二日、照夫は保証人が一名しか用意できないことから、鳥谷司法書士の事務所に電話して相談すると、同司法書士は、喜久大の確認がとれれば、事務所の方で保証人一名を用意する旨返答した。よって、照夫は一旦電話を切り、鳥谷司法書士を欺罔するため、密に松尾修司を喜久大の身代りにして電話の応待をさせ、喜久大が根抵当権の設定を承諾しているかの如く同司法書士を誤信させた。

同日照夫は、右司法書士事務所において、二五〇〇万円の金員借用証書、極度額二億五〇〇〇万円とする根抵当権設定契約証書等を作成し、根抵当権設定登記手続に必要な添付書類を整えた。

同日一審原告の代表取締役粥川及び田島部長らは、同事務所において、右根抵当権設定登記手続に必要な書類が整ったこと、鳥谷司法書士から喜久大の意思は確認済であるとの説明があったことからこれを信じて、同所において照夫に対し、二五〇〇万円を貸付けることとし、右金員から二か月分の利息金に相当する一五〇万円を天引して残金を交付した。

同月二三日福岡法務局受付第四二八〇五号をもって、協和ビル所有の本件土地、建物に一審原告のため、極度額二億五〇〇〇万円とする根抵当権設定登記が経由された。

(六)  照夫は、とりあえず二五〇〇万円の借り入れに成功したものの、右債務を含め、今後の借入債務についても、喜久大を保証人とすることが求められているため、同人の実印と印鑑証明書を入手する必要があった。そこでまず、照夫は、喜久大に無断で同人の実印に近似した偽造印鑑を作らせてこれを入手したが、喜久大の印鑑証明書は同人の印鑑登録証を所持していないため、これを入手する方法がなかった。

(七)  当時、一審被告市における印鑑証明の方式は、区役所に保管している登録票そのものをコピーし、印鑑登録票の謄本であることを証明するいわゆる間接証明方式がとられており、同市の印鑑条例一一条二項によると、印鑑証明を受けようとする者は、自ら出頭し、印鑑証明交付申請書に印鑑登録証を添えて申請するのを原則とし、例外的に区長が確実に本人の意思に基づくものであると認めた場合は印鑑登録証の添付を省略できる旨を定め、所謂面識条項により印鑑登録証なしに印鑑証明書の交付を受けられる場合が認められていた。しかし、同施行規則五条には、「条例一一条二項但書による当該申請が確実に本人の意思に基づくものであることの確認は、出頭者が所有する運転免許証、外国人登録証明書若しくは常用している官公署発行の写真付身分証明書又は申請者と面識のある市印鑑事務関係職員の証言により、当該出頭者が当該申請の申請者本人であることを確認して行うものとする。」との定めがあり、面識条項を適用して印鑑証明書を交付する取扱いが、恣意的になされないように一定の制約が課せられていた。更に同条例一一条三項には、本人がやむを得ない理由で自ら出頭することができないときは、委任状を添えて代理人により申請することができる旨の定めがあった。

右印鑑条例の定めるところによると、印鑑証明を受けようとする本人自らが出頭し、面識条項の適用により、印鑑証明書の交付を受ける場合は別として、印鑑登録証を添付することなしに、当該印鑑証明書の交付を受けることはできない建前となっていた。

これがため、照夫は、喜久大の印鑑証明書を入手する方法がなく、思案に暮れているうち、ふと市会議員に頼めば、印鑑登録証なしに、印鑑証明書を入手できるかも知れないと思い付いた。そこで、選挙活動等の折に面識を得ていた福岡市の市会議員一審被告叶に対し、同月二八日ころ電話をかけ、「実は親父が海外旅行に行って暫く帰らんのですが、契約で急に印鑑証明が必要となりました。印鑑登録証が何処にあるのか判らないので、無理な相談ですが何とかして頂けませんか。」と云って、同人に対し、印鑑登録証なしに喜久大の印鑑証明書を入手する方法はないかと相談した。一審被告叶は、これを了承し、翌二九日の午前九時三〇分中央区役所の一階ロビーで待ち合わせることを約束した。翌二九日照夫は約束の時間に中央区役所の一階ロビーに赴くと、同所に来合わせた一審被告叶は、照夫を右ロビーに待たせたまゝ、市民課の田代課長のところへ行き、同人に対し、喜久大が照夫に対し、印鑑証明書七通の受領に関する一切の権限を委任する旨の委任状を呈示して、印鑑登録証なしに喜久大の印鑑証明書を発行してやってもらいたい旨申し入れた。同課長は、喜久大の印鑑登録証の呈示がないにも拘らず、同課管理係の職員行武に対し、喜久大の印鑑証明書七通を作成するよう指示した。右行武は、右指示に従い喜久大の印鑑証明書七通を作成し、右印鑑証明書は、田代課長、一審被告叶らを経て照夫に交付された。

(八)  照夫は喜久大の印鑑証明書を入手すると、同日直ちに一審原告の事務所に赴き協和ビル代表取締役の偽造印及び喜久大の偽造印等を利用して、一億二五〇〇万円の金銭消費貸借契約書、金銭消費貸借契約公正証書作成の委任状等を作成し、これらの書類とともに喜久大の印鑑証明書を一審原告代表取締役粥川及び田島部長らに交付し、同人らから西日本銀行博多支店振出の額面七五〇〇万円の保証小切手一通と現金貸付分については、五〇〇〇万円のうちから、二か月分の利息として七五〇万円を天引されて四二五〇万円の現金の交付を受けた。

照夫は、昭和五五年一二月中旬ころ更に田島部長に電話で三〇〇〇万円の追加貸付を要請したところ、資金的に年内貸付はできないと断られた。同人は昭和五六年一月一〇日再び田島部長に電話をして貸付の催促をしたところ、一七日に貸付ける旨の内諾を得たが、その際協和ビルの株券を担保として預りたいので持参するよう求められた。

照夫は同月一七日かねて偽造しておいた協和ビルの株券四万株を持参して、一審原告の事務所を訪れ、前同様協和ビル代表取締役の偽造印、喜久大の偽造印を利用して、三〇〇〇万円の金銭消費貸借契約書、金銭消費貸借公正証書作成の委任状等を作成し、右株券とともに本件印鑑証明書を田島部長に交付し、同日三〇〇〇万円から二か月分の利息として一八○万円の天引を受け、残金二八二〇万円の交付を受けた。

(九)  喜久大(及び協和ビル)は、昭和五六年二月ころ、郵便局の集配課局員から協和ビルの転居届が提出されていることを聞き知り、照夫を呼んで事情を尋ねたところ、照夫が一審原告から一億八〇〇〇万円を借入れる担保として、無断で協和ビル所有の本件土地、建物に二億五〇〇〇万円の根抵当権を設定し、該登記手続がなされている事実が判明した。喜久大及び協和ビルは直ちに一審原告を被告として、福岡地方裁判所に対し、右根抵当権設定登記の抹消登記手続請求並びに本件二回目及び三回目の貸付に関する連帯保証債務の不存在確認請求及び公正証書に対する請求異議等の訴を提起した。福岡地方裁判所は、喜久大及び協和ビルの右請求をいずれも正当として認容し、全面勝訴の判決を言い渡した。右判決は一審原告の控訴提起がなく昭和五七年一月二一日ころ確定した。

協和ビル所有の本件土地、建物に対する前記根抵当権設定登記は、右確定判決を原因として、福岡法務局昭和五七年一月二九日受付第三二三九号をもって抹消登記手続がなされた。

以上の結果、一審原告は、本件貸金一億八〇〇〇万円に対する不動産担保はもとより、照夫から預っていた協和ビルの株券四万株も偽造株券のため、担保は全くなく、一切の物的担保を有しないこととなったのみでなく、協和ビルあるいは喜久大に対し、連帯保証人としての責任を追及することもできないこととなった。また、照夫は無資力に等しく同人から本件貸付金の回収を図ることは事実上困難な状況である。

2  そこで、本件印鑑証明書の発行について、一審被告市の印鑑登録事務を担当する職員に過失があったか否かについて検討する。

(一)  印鑑証明書は不動産の登記の申請、公正証書の作成等にあたり、その提出が義務づけられているほか一般に重要な財産上の取引についてその提出が求められ、当該文書が本人の意思に基づいて作成されているか否か或は本人の同一性などを確認する資料として利用されているところである。

右印鑑証明書の利用状況並びにその社会的効用等に鑑みれば、印鑑登録事務を担当する職員は、印鑑証明書の発行に際し、右交付申請が本人の意思に基づくものであることを十分確認し、本人の意思に基づかないで、印鑑証明書が発行されることのないよう注意を払う職務上の義務があるものといわなければならない。

(二)  ところで、前記認定のとおり、福岡市印鑑条例一一条二項によれば、昭和五五年当時、福岡市において、印鑑証明書の交付を受けようとする者は、自ら出頭し、印鑑証明交付申請書に印鑑登録証を添付して申請するのが原則と定められており、確実に本人の意思に基づくものと認められる場合に限り、印鑑登録証の添付を省略し得るものとされているものであるから、本人以外の者が印鑑登録証なしに印鑑証明書の交付申請をすることはできないものと定められていたところである。

しかるに、本件についてみるに、中央区役所に出頭し、印鑑登録証明交付申請をしたのは、喜久大本人ではなく、照夫が右交付申請に関する喜久大の委任状を持参しているに過ぎないのであるから、喜久大の印鑑登録証の添付なしに同人の印鑑証明書を発行することは許されないところである。

従って、一審被告市の田代課長が一審被告叶の要請に基づき、喜久大の印鑑登録証なしに漫然本件印鑑証明書の発行を了承し、これを発行したことは、福岡市印鑑条例及び同施行規則に違反していること疑う余地がなく、右印鑑証明書の発行につき、一審被告市の担当職員に過失があったことは明らかなものといわなければならない。

(三)  一審被告市は、本件印鑑証明書の発行は、代理人照夫を通じての本人面識による発行であり、福岡市印鑑条例一一条二項但書、同条三項及び同施行規則五条の規定に基づく、面識条項の運用の範囲内のものであって、違法なものではない旨主張する。

しかしながら、前記認定のとおり、一審被告市の右面識条項(同施行規則五条)は、「当該申請が確実に本人の意思に基づくものであることの確認は、出頭者が所有する運転免許証、外国人登録証明書若しくは常用している官公署発行の写真付身分証明書又は申請者と面識のある市印鑑事務関係職員の証言により、当該出頭者が当該申請の申請者本人であることを確認して行なう。」旨定め、その文言上申請者本人が窓口に出頭していることを前提として、右本人の確認方法を規定していること明らかであって、代理人が窓口に出頭しているに過ぎない場合にまで拡張解釈されるべきではなく、右代理人が申請者本人名義の委任状を持参している場合でも同様というべきである。

もし、代理人が申請人本人名義の委任状を持参している場合には印鑑登録証の添付なしに印鑑証明書の発行が許されるものとするときは、確実に本人の意思に基づくものであることの確認のため、右委任状の作成が本人の真意に基づくものであることが確認されなければならないこととなり、形式的審査権を有するに過ぎない担当職員に、委任状の作成の真偽を確認する義務を負わせる不当な結果を招くこととなる。

また、右委任状の作成の真偽を確認する義務があるとすれば、印鑑証明交付申請の手続を簡便化し、能率的事務処理の期待される窓口事務は、その円滑な運用が阻害されることは必至であり、結局本人の意思確認が十分なされないまま印鑑証明書の発行される事態の生ずることは避け難いこととなる。

従って、面識条項の適用範囲をみだりに拡張することは相当でないものというべく、この点に関する一審被告市の主張は採用することができない。

3  一審被告叶の責任

本件印鑑証明書の発行は、照夫の依頼を受けた一審被告叶が、一審被告市の担当職員に要請した結果、市印鑑条例及び同施行規則に違反してなされた違法なものであることは前記認定のとおりである。すなわち、一審被告叶は、印鑑登録証を添付することなく、印鑑証明書交付申請をすることは許されないことを承知しながら、一審被告市の市会議員である立場を利用して、右市の担当職員に対して、本件印鑑証明書の発行を求めたものであり、一審被告叶の右要請がなければ、本件印鑑証明書の発行されることはなかったものと認められるから、本件印鑑証明書の発行については、市担当職員のみならず、一審被告叶もまた一半の責任があるものというべく、一審被告叶の行為と一審被告市の担当職員の行為は客観的に関連共同しており、両名は本件印鑑証明書の発行に関して共同不法行為者というべきである。そうすると、一審被告叶は、一審被告市とともに、本件印鑑証明書の発行について一審原告に生じた損害を不真正連帯して負担すべき責任がある。

なお、一審被告叶は、本件印鑑証明書の発行について、照夫を市民課の田代課長に紹介しただけである旨主張するが、右主張は採用の限りでなく、前記認定の事実によれば一審被告叶の行為が市会議員としての正当な政治活動の範囲を逸脱していることは自ら明らかである。

4  次に、本件印鑑証明書の発行と一審原告の損害との間の因果関係について、検討する。

照夫が一審原告から昭和五五年一〇月二二日二五〇〇万円、同月二九日一億二五〇〇万円、昭和五六年一月一七日三〇〇〇万円の貸付を受けたこと、照夫が本件印鑑証明書を入手し、これを一審原告に交付したのは二回目の貸付たる昭和五五年一〇月二九日以降であることは前記認定のとおりである。

しかして、前記認定のとおり、照夫は一審原告より二回目及び三回目の貸付けを受けるに際し、喜久大の個人保証を求められており、その旨の各公正証書を作成する必要があったのであるから、もし照夫が喜久大の本件印鑑証明書を入手し得なかったとすれば、右各公正証書の作成はできなかった筈であり、一審原告より、右貸付けを受けることができなかったものと認められる。

そうすると、本件印鑑証明書の発行と一審原告が照夫に対し、二回目及び三回目の貸付けを実行したことにより被った損害との間には相当の因果関係があるものというべきである。

一審原告は、もし、本件印鑑証明書の発行がなければ、その時点で喜久大が連帯保証する意思のないことを知り得た筈であり、右照夫から一回目の貸付金の回収を図り得た旨主張する。しかし、本件印鑑証明書の発行と右一回目の貸付金の回収不能との間には相当因果関係があるものとは認め難いところである。

しかのみならず、〈証拠〉によれば、照夫は昭和五五年一〇月二二日一審原告から二五〇〇万円貸付けを受けるに際し、二か月分の利息として一五〇万円の天引をされたほか同日鳥谷司法書士に対し登記手続の手数料として二二〇万円、仲介人山口岩雄に対し謝礼金として一二五万円をそれぞれ支払い、耳塚虎夫から借入れていた一〇〇〇万円の債務を返済し、照夫本人の手元に留保し得た金額は僅に七七〇万円に過ぎなかったこと、照夫は右金員を密かに十八銀行赤坂支店の青木輝夫名義の普通預金口座に入金していたことが認められる。

右事実によれば、一回目の貸付金二五〇〇万円は同日のうちにその大部分が各種の支払に充てられ、既に回収不能の状態になっていたことが明らかであり、照夫の手元に留保されたのは僅かに七七〇万円に過ぎず、右金員も密かに他人名義の預金口座に預金されていたところであるから、一審原告が二回目の貸付当時照夫の不正に気付き得たとしても、右残金の保管方法並びに前記認定のとおり、照夫が当時多額の負債を抱え、その返済に苦慮していた事情を考慮すると、容易に右金員の回収がなし得たものとは認め難く、本件印鑑証明書の発行と一回目の貸付金の回収ができなかったこととの間に因果関係を認めることはできない。

5  以上、一審被告市の担当職員の本件印鑑証明書の発行は、地方公共団体の公権力の行使に当たる公務員として、その職務を行うにつきなされたものであり、右行為は福岡市印鑑条例、同施行規則に違反しており、これにより、一審原告に損害を与えたものであるから、一審被告市は、国家賠償法一条一項により一審原告の被った損害を賠償する責任を免れない。

6  損害額(請求原因4)について

一審原告の損害額につき検討するに、〈証拠〉によると、一審原告は、本件二回目及び三回目の貸付けに関して、照夫から別紙一の(2)及び(3)記載の各日付に各記載の利息(天引利息を含む。)の支払を受けていることが認められる。そこで右支払利息額を利息制限法に定める制限利率(年一割五分)に引き直して計算し、その超過利息をその都度元本に組み入れると、その充当関係及び残元本額は別紙二の(2)及び(3)記載のとおりであり、本件二回目の貸付の残元本は一億一一二八万九六二八円(昭和五六年三月二八日当時)、本件三回目の貸付の残元本は二八三六万六三一三円(同月二三日当時)となる。よって、本件印鑑証明書の過誤発行と因果関係のある一審原告の損害額は、右合計一億三九六五万五九四一円を超えるものではないと認めるのが相当であり、他に右認定を左右する証拠はない。

7  過失相殺について

貸金業法一三条は「貸金業者は、資金需要者である顧客又は保証人となろうとする者の資力又は信用、借入れの状況、返済計画等について調査し、その者の返済能力を超えると認められる貸付けの契約を締結してはならない。」と規定し、貸付けを求める債務者本人及び保証人の年齢、職業、経済的能力、借入金の使途、その返済計画等を十分調査し、債務者らの返済能力を超えると認められる過剰な貸付けをすることのないよう貸金業者に対し重い注意義務を課しているところである。

本件についてみるに、一審原告が照夫に対し、前後三回にわたり合計一億八〇〇〇万円を貸付けた経緯は前記認定のとおりであるが、右事実によれば、一審原告は従前照夫と金融取引をしたことはなく、一審原告の代表取締役粥川は照夫と格別の面識はなかったこと、照夫は当初一審原告に対し、協和ビルの株券四万株を持参して、六〇〇〇万円の融資を要請し、これを断られると、一週間位後に再び-審原告の事務所を訪れ、協和ビル所有の土地、建物に極度額二億五〇〇〇万円の根抵当権を設定することを了承し、これを担保として、前後三回にわたり総額一億八〇〇〇万円に及ぶ貸付けを受けるに至ったものであるが、右借入金額が極めて高額であるにも拘らず、借主の実父であり且つ協和ビルの代表取締役である喜久大は一審原告の事務所に全く姿を見せず、一審原告も右貸付けについては、協和ビル所有の土地、建物を担保にすること並びに喜久大の個人保証を要求していたのに喜久大に対し、直接その意思の確認をしていなかったところである。

ところで、協和ビル所有の本件土地、建物は福岡市天神の繁華街の一角に位置し、その場所的条件に恵れているところから、その資産評価は極めて高く、右土地だけでもその標準価格が、優に一〇億円を超えていたことは前記認定のとおりである。

しかして、〈証拠〉によれば、昭和五五年当時右土地、建物に設定されている抵当権の被担保債権額は、株式会社協和銀行、株式会社西日本相互銀行、株式会社十八銀行を合計しても九〇〇〇万円に過ぎないことが認められ、右土地、建物は、当時相当の担保価値を有していたことは疑う余地がないところである。

従って、もし照夫のために多額の資金を必要としたとしても、喜久大の協力を得て、協和ビル所有の土地、建物を担保に供すれば、協和ビルの取引銀行から低利の貸付けを受けることは容易に期待し得た筈であり、格別の事情もなく、殊更に高利の金融業者にこれを担保提供し、長期にわたり、高額の貸付を求めようとすることは、通常あり得ない事態であり、照夫の前記申し入れは、それ自体不自然なものであったといわなければならない。

更に照夫は第一回目の貸付を懇請するにあたり、他から高利による融資を受けている一〇〇〇万円の債務の支払期日が経過しているので取り敢えず二五〇〇万円の融資を受けたい旨申し入れているところであるが、極めて恵れた経済的家庭環境にある筈の照夫が、高利の金融業者から一〇〇〇万円に及ぶ借入金があって、その返済に苦慮している事態も不可解なことというほかなく、照夫が協和ビル所有の本件土地、建物の権利証を所持せず、保証書をもって本件抵当権設定登記手続をしようとしていること、本件貸付金の使途が不明確であるうえその返済期間も一年間と比較的長期にわたることなどの事実を併せ考えると、照夫の言動には警戒すべき多くの疑問点があったものということができる。

従って、これらの事情に鑑みると、金融業者たる一審原告は、本件貸付にあたり、その貸付金額が高額であることをも考慮し、照夫の職業、資産状態、信用等を慎重に調査すべき注意義務があったものというべく、一審原告においてこれらの調査を行えば、照夫が多額の負債を抱えてその返済に困窮していたこと、照夫と喜久大とが断絶状態にあり、照夫は喜久大の経済的援助を求め得ない事情にあることなど容易に知り得たところである。

また、基久大に直接その保証意思の確認をすることも、容易になし得たところである。

しかるに、一審原告の代表取締役粥川及び田島部長らは、本件貸付にあたり、照夫の職業、資産状態、信用等を調査した形跡がなく、喜久大の保証意思の確認についても、鳥谷司法書士に一任していたため、同司法書士が照夫の巧妙な偽装工作によって、喜久大の保証意思の確認を得たものと誤信し、結局、照夫の偽装工作を看破することができなかったところである。

以上、一審原告は、照夫に対し、本件貸付けをするにあたり、照夫及び喜久大の職業、資産状態、信用等のほか照夫の借入金の使途、返済計画等の調査をすべき義務あるところ、これを怠った重大な過失があったものといわなければならない。

もし、一審原告において、直接喜久大の保証意思を確認する労を厭わなければ、照夫の虚言は直ちに発覚し、本件貸付はこれを容易に避け得たところである。

本件印鑑証明書は、照夫が一審原告を欺罔する手段として使用されたものであって、その役割も軽視し得ない点がないではないが、一審原告が本件貸付を行うにあたり、協和ビル所有の本件土地、建物が最も頼りとなる担保であることは云うまでもなく、一審原告が本件貸付をしたのは、右土地、建物に二億五〇〇〇万円に及ぶ抵当権を設定し、これが有効なものと信じたことにほかならず、照夫と喜久大とが親子の関係にあることを考えると、照夫が密に喜久大の印鑑登録証を持ち出し、不正に印鑑証明書を入手することも容易に考えられるところであるから、本件印鑑証明書の存在が、本件貸付に果した役割を過大に評価することは相当でない。

そこで、以上認定の本件貸付に至る双方の一切の事情を総合的に斟酌すると、一審原告の本件貸付けにおける過失割合は、九割を下回ることはないものと認めるのが相当である。以上の認定を左右する証拠はない。

右によると、一審原告が一審被告らに対して請求しうる損害賠償の額は、前記認定の損害額一億三九六五万五九四一円の一割に相当する一三九六万五五九四円を超えることはないものというべきである。

なお、一審被告市は過失相殺を行う場合には、時効消滅している八〇〇〇万円を控除した金額についてなされるべきである旨主張するけれども、全損害額を示しつつ、一部請求をしている場合に過失相殺の対象となる金額は実損害と解すべきであるから、一審被告市の右主張は採用しない。

三  結論

よって、一審原告の本訴請求は、一審被告らに対し、各自一三九六万五五九四円及びこれに対するそれぞれ訴状送達の日の翌日たること記録上明らかな一審被告市については昭和五七年五月二六日から、一審被告叶については同月二七日から、いずれも支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で正当としてこれを認容し、その余は失当としてこれを棄却すべきである。そうすると、一審被告らの本件控訴は一部理由があるから原判決を右の限度で変更し、一審原告の本件控訴は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 新海順次 裁判官 山口茂一 裁判官 榎下義康)

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